北海道の旅              稚内市

稚内市(わっかないし)

日本北海道宗谷地方にある市。旧宗谷郡および天塩郡の一部。最果ての宗谷岬
礼文島利尻島へのフェリーの航路、最北の駅稚内駅がある、宗谷総合振興局
在地で宗谷管内の
中核都市である。
地名の「わっかない」は、アイヌ語で「冷たい飲み水の沢」を意味する「ヤム・ワッカ・ナ
イ」に由来する。
としては日本最北で、宗谷総合振興局の所在地である。
松前藩
が宗谷場所を開設した江戸時代初期以降、港湾として恵まれた地理条件を備
え、良質な魚場に恵まれたため
漁業の街として発展した。江戸時代中期頃からは国防
上の北の要衝として重視されている。
日露戦争後には樺太サハリン)航路を開設、大正時代には鉄道建設も行われ、旭川
以北最大の都市となる。戦後、北洋漁業基地としてさらに発展するが、旧
ソ連排他
的経済水域
設定後は、基幹産業である漁業が衰退し人口減少が続いている。


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北防波堤ドーム(きたぼうはていドーム)

北海道稚内市稚内港にある大型の防波である。土木学会選奨土木遺産
北海道遺産 に選定されている(「稚内港北防波堤ドーム」)。

稚内港の防波堤としての役割および、桟橋から駅までの乗り換え通路を兼用
するため、
1931昭和6年)から5年間をかけて建設され。
防波堤の外観としては異色となるドーム状の形態を取っていることから命名
された。
高さ約14メートル、長さ427メートル、古代
ギリシア建築を彷彿とさせる70本の
エンタシス
状の柱列群は、斬新な印象を与えている。1981(昭和56年)に
全面改修された

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氷雪の門
(ひょうせつのもん)

北海道稚内市稚内公園内にあるかつて日本領土だった樺太で亡くなった
日本人
のための慰霊碑である。
19638月に樺太島民慰霊碑(からふととうみんいれいひ)として本郷新
彫刻により、地元の樺太関係者の手で建立された。 両側に高さ8mの門(望郷
の門)があり、中央に2.4mの女性の像がある。
女性の像については、顔は戦争で受けた苦しみを、手のひらを見せているの
は樺太も家族も失ったことを、足はその悲しみや苦しさから早く立ち上がるこ
とを表しているとされている。
樺太で亡くなった全ての日本人が対象であり、
第二次世界大戦終戦後のソ連
軍の侵攻による樺太内での戦争
で亡くなった日本人だけを対象としているわけ
ではない。


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野寒布岬
(のしゃっぷみさき)は、北海道稚内市ノシャップにある
ノシャップ岬」とカナで表記することも多い。
日本海から宗谷湾を区切る。

岬の最北端には稚内灯台があり、晴れた海霧の立たない日には利尻島
利尻富士)、礼文島が望める。灯台の南西よりにある恵山泊漁港公園には
「ノシャップ岬の碑」の他、「イルカのモニュメント」が設置されているが、これは
イルカが宗谷海峡を通過したという昔話に基づいている。

2007年度は約14万人の観光客が訪れている。

読み方が似ている納沙布岬(のさっぷみさき)は根室市にある北海道本島
最東端の岬であ
る。

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宗谷岬(そうやみさき)は、北海道稚内市にある。日本の本土最北端
地。日本国政府実効支配の及ぶ範囲で、一般人の行く事のできる最北端
の地である。

本項では、宗谷岬を題材とした同名の楽曲(後述)についても記述する。
日本政府が領有権を主張する範囲における最北端の地は、北方領土択捉
にあるカモイワッカ岬であり、また、現在日本政府の実効支配が及ぶ範囲
における最北端の地は、宗谷岬の西北西の沖合い1kmに位置する弁天島
いう岩礁であるが、宗谷岬が一般人が通常利用する交通手段を用いて到達
できる範囲においての日本国領土内の最北端の地であるため、「日本最北端
の地
」と記された石碑が建てられており、この石碑を目指し多くの観光客が訪
れている。このため地理上の特徴として付近には様々な「日本最北端」が存在
する。なお、「岬」とは称するものの、尖った地形になっている訳ではなく、海岸
がカーブしているだけである。

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