橿原市(かしはらし)

奈良県中部のである。総人口約124,000人と奈良市に次ぐ県下第二都市でもある。
市名は神武天皇が磐余(いわれ)の地において磯城の首長の兄磯城(えしき)を破り、
饒速日命も天津瑞を献じて仕えることとなり、神武天皇即位紀元辛酉の年の春正月の
庚辰の朔日に畝傍山東南「橿原の宮」に即位建国したことに由来する。

今井町(いまいちょう)

奈良県橿原市の中部に位置する地区で、14丁目からなる。
戦国時代
寺内町が原型となり、今も江戸時代の建造物が多数存在するた
め、町域の一部が国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。
奈良県橿原市の中部に位置する、東西約600m、南北約310mの地区である。
北東部の1丁目、南東部の2丁目、南西部の3丁目、北西部の4丁目に分かれ
ている。地形はおおむね平坦で、東を飛鳥川が北流している。北は小綱町、
西は五井町、南は四条町、東は兵部町および南八木町1丁目、北東は八木町
1丁目(いずれも橿原市)と接している。

豊田家住宅
屋号を「紙八」といい、江戸末期から明治初年にこの家に移り住んだ。元々は材木商で
金融業を営む豪商牧村家の所有で「西の木屋」と呼ばれた。
福井藩藩主松平春嶽に貸し付けを行い藩の蔵元を務め、高取藩に融資し重臣の待遇
まで受けていた。しかし、明治維新後の廃藩置県によって大名貸の貸付金が凍結し、
債権が放棄され今井町を離れざるを得なかった。なお、大阪府堺市の大仙公園にある
今井町出身の今井宗久ゆかりの茶室「黄梅庵」は、もと牧村家所有の茶室を電力王で
小田原三茶人の一人である松永安左エ門が買受け、小田原市に移築したものを1978
(昭和53年)に相続人の松永安太郎が堺市に寄贈し、堺市制90年記念事業の一環
として1980(昭和55年)10月、大仙公園内に移築された。この茶室は秀吉の吉野山
花見に設けられ「宗久茶屋」と称され、後に松永安左エ門が今井宗久の菩提寺大徳寺
黄梅院 (京都市)
にちなんで「黄梅庵」と名付けた。
住宅は1662(寛文2年)の建築で今井町では、今西家に次いで古い。事前予約必要。
1972(昭和47年)515日重文指定。


                フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より


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