大神神社(おおみわじんじゃ)2
奈良県桜井市三輪にある神社式内社名神大社)、大和国一宮二十二社(中七社)。
旧社格官幣大社で、現在は神社本庁別表神社
別称を「三輪明神」・「三輪神社」とも。


三諸山そのものを御神体(神体山)としており、山中には上から、奥津磐座(おきついわくら)、
中津磐座(なかついわくら)、辺津磐座(へついわくら)があり本殿をもたず、拝殿を江戸時
4代将軍徳川家綱によって再建された。
拝殿から三輪山自体を神体として仰ぎ見る古神道(原始神道)の形態を残している。
輪山祭祀は、三輪山の山中や山麓にとどまらず、初瀬川と巻向川にはさまれた地域
(水垣郷)でも三輪山を望拝して行われた。拝殿奥にある三ツ鳥居は、明神鳥居3つを1つ
に組み合わせた特異な形式のものである。

   三つ鳥居から辺津磐座までが禁足地で、麓の山ノ神祭祀遺跡などからは、古墳時代中期
   以降の布留式土器須恵器・子持勾玉・臼玉などが出土した。
   三輪山から出土する須恵器の大半は大阪府堺市の泉北丘陵にある陶邑古窯址群で焼か
   れたとされる。

   全国各地に大神神社・神神社(美和神社)が分祀されており、既に『延喜式神名帳』(『延喜
   式』巻9・10の神名式)にも記述がある。その分布は、山陽道に沿って播磨(美作)・備前・備
   中・周防に多い。

   大神神社は中世以降、神仏習合の色濃く、『三輪明神』として篤く信仰された。平等寺
   御輪寺
浄願寺(尼寺)という三つの大きな神宮寺があったが、明治時代に行われた廃仏
   毀釈
で三寺全てが廃寺となり、大御輪寺の本尊であった十一面観音像が聖林寺に移管された。
   その後、昭和52年(1977年)に平等寺は曹洞宗の寺院として再興された。大和七福八宝め
   ぐり(三輪明神、長谷寺、信貴山朝護孫子寺當麻寺中之坊、安倍文殊院おふさ観音
   談山神社久米寺)の1つに数えられている。

   例年11月14日に行われる醸造安全祈願祭(酒まつり)で拝殿に杉玉が吊るされる、これが
   各地の造り酒屋へと伝わった。


                フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より


        大神神社の参道には露店が並んでいた


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