樫野埼灯台(かしのざきとうだい)
和歌山県東牟婁郡串本町沖の紀伊大島の東端断崖の樫野埼に建つ灯台である
 

樫野埼灯台は「日本の灯台の父」と呼ばれるリチャード・ヘンリー・ブラントンが
日本で最初に設計し、1870年7月8日(明治3年6月10日)に初点灯した日本最
初の石造灯台である。樫野埼灯台は日本最初の回転式閃光灯台でもあり、その
初期の建物が現存している。
 
樫野埼灯台は、エルトゥールル号遭難(1890年9月16日)の場所としても知られ
る樫野埼に建つ白亜の無人灯台で、灯台内部へは入れないが外部階段から灯
台に登ることができる。樫野埼灯台は吉野熊野国立公園エリアにあり、南紀の素
晴らしい景観を一望できる。
樫野埼灯台の周囲には、明治初期に灯台技師のイギリス人が植えた水仙が群れ、
また「エルトゥールル号遭難慰霊碑」が徒歩圏内にある。
 
トルコ記念館(トルコきねんかん、トルコ語: Türk Müzesi )は、 和歌山県 串本町
紀伊大島 にある町立の 博物館 。 1890年 ( 明治 23年)9月16日に紀伊大島
沖で遭難した オスマン帝国 (現在の トルコ )の フリゲート 艦 エルトゥールル号
の模型や乗員の遺品のほか、トルコ政府から寄贈された品々を展示している
 。

ノルマントン号事件(ノルマントンごうじけん、英語: Normanton Incident )とは、
1886年 (明治19年) 10月24日 に イギリス 船籍の 貨物船 、マダムソン・ベル
汽船会社所有のノルマントン号(Normanton、より英語に忠実な表記は「ノーマ
ントン」)が、 紀州 沖( 和歌山県 東牟婁郡 串本町 潮岬 沖)で 座礁 沈没 した
事から始まった紛争事件である。
日本人 乗客を見殺しにした疑いで船長の責任が問われたものの不問となり、船長
らの人種差別的行為と 不平等条約 による 領事裁判権 に対する 国民 的反発が
沸き起こった。
 
1886年(明治19年)10月24日午後8時ごろ、横浜港から日本人乗客25名と雑貨を
のせて神戸港に向かったイギリス貨物船ノルマントン号240トンが、航行途中、暴風
雨によって三重県四日市より和歌山県樫野崎までの沖合で難破、座礁沈没した。
その際、ジョン・ウイリアム・ドレーク船長以下イギリス人やドイツ人からなる乗組員26
名は全員救命ボートで脱出し、漂流していたところを沿岸漁村の人びとに救助されて
手厚く保護された。
 
ところが日本人乗客25名は、一人も避難できた者がおらず、船中に取り残されてこと
ごとく溺死した。
 

                フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より

             串本から紀伊大島間の連絡橋

            近大のマグロ養殖いけす
 

            樫野崎灯台から見た太平洋

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