出石(いずし)
兵庫県豊岡市にある地区で、かつての出石城城下町。城下町として整備された
町割が
碁盤の目状であることなどから、但馬の小京都と呼ばれている。豊岡市出石
伝統的建造物群保存地区の名称で国の
重要伝統的建造物群保存地区として選定
されている。
 

室町時代守護大名山名氏の居城であった有子山城の南麓に慶長9年(1604年)、
外様大名小出吉英
により出石城とその城下町が築かれた。
江戸時代仙石家の城下町となって発展した。江戸時代三大お家騒動の仙石騒動
の舞台である。

明治9年の大火により80%以上の建造物を焼失したが町割は文化7年(1810年)の
絵図の状態がほぼ完全に残り、そこに建設された
明治時代の寺院や町家、および焼
失を免れた
武家屋敷や社寺が現存し、近世後期の城下町の歴史的風致を今日に伝
えている。
 

近代以降も出石郡における行政経済の中心地であった。そのため建替えが多く、1987
に最初の県指定景観形成地区に指定された後も古建築の改廃が絶えないため、
重要伝統的建造物群保存地区選定の申し出(平成19年文部科学大臣選定)をする
など、景観の保護を法的に強化している。

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辰鼓楼
(しんころう)
兵庫県豊岡市出石の出石総合支所敷地(旧出石町役場、旧弘道小学校敷地)にある明治時代初期の時計台
豊岡市出石伝統的建造物群保存地区
を代表する建造物である。
楼閣本体は1871年(明治4年)完成。辰の刻(7時から9時)の城主登城を知ら
せる太鼓を叩く楼閣であった。
旧藩医の蘭方医、池口忠恕が大病を患った際、多くの人々が病気快癒の願掛
けをした。忠恕は回復後、病気中出石の人々に多大な精神的支援を受けた感
謝の意思を形にしたいとして、時計技師2名を招くとともにオランダ製の機械式
大時計を取り寄せ寄贈した。これによって1881年(明治14年)より現在の姿の
時計台となった。以後、弘道小学校では機械式時計の錘(おもり)を掛け替える
のが児童の大事な役割となった。現在は時計本体は入れ替えられている。

日本最古の時計台
 日本最古の時計台とされることが多いが、時計台と
なったのは1881年(明治14年)であり、1878年(明治11年)完成の札幌農学校
演武場に時計塔(札幌の時計台)が設置されたのも1881年である。
いずれが古いかははっきりしない。しかし、建物から独立した洋式時計台、
一般市民が時刻を共有するための洋式時計台、国以外が設置した洋式時計
台としてはこれより古いものは知られていない。
 

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