天竜峡 2 (てんりゅうきょう)

長野県飯田市にある天竜川の峡谷。国の名勝に指定されており、また
天竜奥三河国定公園の一部となっている。
竜の字を旧字とした天龍峡と記述されることもある

暴れ川と言われた天竜川が切り開いた絶壁が続く渓谷である。
花崗岩の岸壁にはアカマツやモミジが自生し、新緑や紅葉が見事で、
その風光明媚な景色は観光客にも好評である。天竜峡温泉もある。

天竜峡の命名は、漢学者の阪谷朗廬によるものである。阪谷は弘化4
1847年)に当地を訪れている。
右岸側の高台には、朗廬の天竜峡碑(漢文)が建立されている。

1882年(明治15年)には、当地の蘭方医で文人としても知られた関島
良致(関島松泉)の招請を受け、書道家の日下部鳴鶴が天竜峡の10
の奇岩を選定し天竜峡十勝とした。
これらの岩は上流より以下のように命名され、それぞれに鳴鶴自筆の
銘が彫られている。

1927年(昭和2年)、東京日日新聞などによる日本新八景の選定に際
しては、渓谷部門の読者投票で313万票を得て1位になったが、審査員
による最終選考からは漏れた。これに憤慨し、飯田地方では東京日日
新聞の不買運動が起きたと言われている。
八景には漏れたものの、日本二十五勝には選定された。

1934年(昭和9年)には国の名勝となり、市丸の新民謡『天竜下れば』
のヒットと合わせて多くの観光客を集めた。

しかし天竜峡付近はもともと狭隘で土砂を溜めやすかったため、河床が
上昇し十勝の一部は水面下に沈んだり砂に埋もれるなどした(これには
下流にある泰阜ダムの設置が影響しているといった見解もある)。
その後、1984年から天竜峡下流側で川底からの砂利採取を継続的に
行うことで、河床が低下し景観がある程度回復した(たとえば、芙蓉峒の
文字のうち「芙蓉」までが水面上に現れるようになった)。

1969年には近隣地域とともに天竜奥三河国定公園に指定された。

     フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より


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