清洲城 1 

この城と建物は、平成元年(1989)、旧清洲町の町制100周年を記念して、城が
実在した当時の外観や規模を想像しながら建設され、長らく町民に親しまれた
「清洲」の字を宛てて「清洲城」と命名されました。
また、「天主閣」の表記に関しては、現在通常使われる「天守閣」の語源に様々
な説があり、「殿主」「殿守」「天主」などの表記が確認されていますが、信長公
の事績を記した「信長公記」に「天主」と表記されていることから、「天主閣」の字
を宛てることにしました。
しかしながら、この城や地名は、歴史的には長く「清須」の字を宛てられており、
明確な基準が存在しなかった時代には同時代においても「清須」「清洲」が併行
して使用されている例もあります。
また、「天主閣」に関しても歴史的記述に関する限り、一般名要である「天守閣」
を用いるのが適当であるとの判断をいたしました。


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復元石垣清洲越直前(1610年頃)に存在していた本丸南側の石垣が復元
されています。この石垣は平成八年の河川事業に伴い実施された遺跡調査
で発見された信長塀永禄三年(1560年)桶狭間出陣途中熱田神宮に戦勝
祈願し、大勝した為、そのお礼に奉納された塀をモデルに造られました。
ものです。




石庭
城の石庭には岐阜御岳石の巨石を配し、三重県菰野砂利を敷いて
います



水琴窟
芸能文化会館横手に水琴窟を設けてあります。
天正10年(1582年)6月2日、家臣明智光秀の謀反による本能寺の変で、
天下統一の半ばで、 織田信長公が討たれました。

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