犬山城下町 3

犬山城下町は犬山城の築城に伴い、もともとあった町を整備して作られました。
商人や職人の同業者を近くに住まわせて、町の発展を促したとされ、鍛冶屋町・魚屋町
などの町名に名残が見られます。また、町の中央部に町人町を置き、それを囲むように
侍町を配置したほか、城下町の外周を木戸や堀、土塁等で取り囲む総構えの城下町と
して守りを固めていました。現在も江戸時代と変わらない町割り(町の区画)がそのまま
残り、江戸から昭和までの歴史的な建造物が立ち並びます。
そして、なんと言っても国宝犬山城と有楽苑の国宝茶室如庵をお見逃しなく。国宝が
一つの町に二つもあるのはとてもめずらしいんですよ。

からくり展示館
日本における古い時代の機械的仕組みのこと。漢字では絡繰唐繰機巧機関
どさまざまに表記される。からくりが文化的に開花したのは
江戸時代で、その独自性に
よって国際的にも注目されている。欧米の
オートマタ(歴史的な自動装置・自動人形)
研究においても、日本語のまま「karakuri」とローマ字表記されるようになった。

日本のからくりについての記録は、『日本書紀』の斉明天皇4年(658)に見られる
指南車
が最古のもので、この指南車についてはこれより古く『三国志』にも記述がある。
これは台車の上に立つ人形が車輪の差動を利用し、車がどの方向に進んでも常に南
の方向を指し示すというものである。平安末期の『
今昔物語集』巻第二十四には、
桓武
天皇
の皇子高陽親王(賀陽親王)がからくり人形を作ったという説話が記載されている。
また巻二十四第五には「
飛騨工」(ひだのたくみ)絵師百済河成を驚かせるため、四
方に扉がある堂を作り、いずれの扉の前に立っても目の前の扉は閉じ違う場所の扉が
開く仕掛けを作った説話も記載されている。


                   百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より


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