篠山城(ささやまじょう) 兵庫県篠山市北新町にある近世城郭

篠山盆地の中央部、笹山とよばれる小丘陵に築かれた平山城。国の
史跡
指定されている。

1609
(慶長14年)徳川家康は、松平康重(徳川家康庶子という有力説がある)
常陸国笠間城から丹波国八上城に移し、さらに新城の築城を命じた。
これは、山陰道の要衝である丹波篠山盆地に城を築くことによって、大坂の豊臣
をはじめとする西国諸大名のおさえとするのが目的であったとされる。

篠山盆地中心部の丘陵である笹山を築城地と定め、藤堂高虎が縄張を担当した。
普請総奉行を池田輝政が務め、15か国20の大名の助役による天下普請により
6か月で完成した。

城は内堀と外堀を有し、内堀内に本丸と二の丸を設ける。外堀の外周は1辺約400
メートルで、東・北・南に馬出を設けていた。築城当初より天守台はあるが天守は建
設されなかった。これは石垣や堀をはじめとする城の造りがあまりにも堅固すぎる
ことを幕府が懸念したためと伝えられている。

以後、松平三家八代、青山家六代の居城として明治を迎えた。

明治維新後、城郭の遺構は大書院を残してほとんどが取り壊された。取り壊しから
免れた大書院も1944(昭和19年)16日に失火により焼失している。


2006
(平成18年)46日、日本100名城(57番)に選定され、2007(平成19)
6
月から全国規模の日本100名城スタンプラリーが開始された。

シシシ百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より
             撮影 松本 憲治様   くく
             内堀と石垣

枡形 大手門と鉄門との間にある敵の動きを妨げる方形の広場

        鉄門跡と大書院

        大書院車寄せ

 書院の中でも最も格式のある上段の間

障壁画(復元時 本物の狩野派の屏風画を転用したもの)

大書院(藩の公式行事に使用)1944年に焼失2000年に復元再建

        二の丸から見た本丸

        北外堀

         東外堀

 
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