北海道の旅 馬・牛の牧場日高地方他

日高振興局(旧・日高支庁)に初めてサラブレッドが繋養されたのは1887のこと
で、その後1905馬政局が発表した第一次馬政計画ではサラブレッドを中心と

する乗用馬の生産が奨励され、1907には第一次馬政計画を推進するために
林省
が浦河町に日高種馬牧場を建設した。ただしこの時期の日高振興局の農業
の中心はあくまでも農作物であって馬の生産はさほど盛んではなく、馬産地として
の評価は東北地方関東地方九州地方の方が高かった。

日高振興局が日本一の馬産地として認識されるようになったのは戦後のことである。
1970減反政策が開始され、その後まもなく一次競馬ブームが起こると、それ
まで零細な規模で稲作を行っていた農家の多くが水田を牧草地に転作し、競走馬
の生産を行うようになった。
一方、戦前に軍馬や農業馬の産地として有名であった他の馬産地は宅地開発や
土地高騰の影響による牧場用地の確保困難や、馬産の大部分を占めていた軍馬・
農耕馬の需要の消滅によって衰退した。日高振興局における農業生産額に占める
競走馬の割合は1965年には22%であったが、1970年には63%に上昇し、それ以降
60
70%を維持し続けている。


地理的条件の関係
日高振興局管内は北海道の中では温暖で降雪量が少ないが、
しばしば濃霧が発生する。また土壌は火山灰地である。日高振興局の面積は約4838
平方キロで、和歌山県福岡県に匹敵するが、山地が多く太平洋に面しているため、
耕作可能な面積は狭い。耕地率は2000年の時点で8.3%である。
これは北海道の中でも最小で、土地利用型の農業が成立しにくいとされる。


フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
より

    又、北海道の色々な地方で、牛の牧場が見られました。
   


            牧草を刈り集めて(冬の準備)

   牧場のサイロ(牧草の貯蓄用)の無い畜産農家が多くありました。

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