京都御苑 (京都市 上京区)
京都市内の中心部にあって深い緑に包まれた京都御苑は、東西約700m
南北約1.300mのほぼ長方形をしており、このうち京都御所や大宮・仙洞
御所などを除いた約63haが「国民公園」として終日解放されています。

砂利敷の広い苑路と築地塀、芝生と松林で構成される景観は、京都御苑、
の典型的な風景としてすっかり定着していますが、御苑が現在のような姿
に整備されたのは明治以降のことです。

それまでは約二百件の公家屋敷が立ち並ぶ公家町を形成じていましたが、
明治2年(1869)の東京遷都に伴って多くの公家達も東京に移住し、御所
周辺は急速に荒廃していきました。
明治10年(1877)京都に還幸された天皇は、その荒れ果てた様に深く哀し
まれ、御所保存、旧観維持の御沙汰を下されました。そしてこの御沙汰を受
けて「大内保存事業」が進められ、皇室苑
地として整備されたのが現在の
京都御苑の始まりです。


苑内には約5万本の樹木が生育していますが、建礼門前に広がる松林や苑内各所に
倖む楠、樺、榎、銀杏などの巨木は御苑の風格を高め、梅、桃、桜、百日紅、楓、など多彩
な樹々が四季折々に御苑を彩ります。また、蛤御門や堺町御門に代表される外周九門
や、かつての公家屋敷の茶室・拾翠亭など歴史を偲ばせる遺構も多く残っています。

このように豊かな自然と歴史に恵まれた京都御苑は、御所の由緒ある景観を
維持する庭園としての機能はもちろん、散策や休養、自然や歴史とのふれあ
い、さらには市民スポーツの場など多様な機能を備え、多くの人々に親しまれ
ています。


シシシシシシシシシシシシシシシシ参考文 『ウィキペディア(Wikipedia)』より
蛤御門(はまぐりごもん)
現在の京都御苑西門の一つ。
本来の正式名称は新在家御門であった。
門の形状は高麗門型の筋鉄門である。
光格天皇の頃に発生した天明の京都大火で御所が炎上した折に、滅多に
開かなかったこの門がこの時だけは開いたというので、「固く閉じていたのが
火にあぶられて開いた」=ハマグリのような門、転じて蛤御門という俗称が付
いた。結局今日まで正式名称となる。
蛤御門の変では会津桑名・・薩摩連合軍の防衛拠点として位置づけられ、
現在でも当時長州藩から撃ち掛けられた弾痕を確認することができる。


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