松本城 1(長野県松本市)

安土桃山時代末期-江戸時代初期に建造された天守国宝に指定され、城跡
は国の史跡に指定されている。松本城と呼ばれる以前は深志城(
ふかしじょう)
といった。市民からは別名烏城(からすじょう)とも呼ばれている。文献上には烏城
という表記は一切ない。

戦国時代
永正年間(
1504-1520年)に、松本平信濃府中(井川)に居を構えて
いた信濃守護小笠原氏(府中小笠原氏)が林城を築城し、その支城の一つとし
て深志城が築城されたのが始まりといわれている。後に甲斐の武田氏の侵攻を受
け小笠原氏は没落、武田氏は林城を破棄して深志城を拠点として松本平を支配
下におく。武田氏滅亡後の天正10年(1582)、徳川家康の配下となった小笠原
貞慶
が旧領を回復し、松本城に改名した。


天正18年(1590年)の豊臣秀吉による小田原征伐の結果、徳川家の関東移封が
行われ当時の松本城主小笠原秀政下総古河へと移った。代わりに石川数正
入城し、石川数正とその子康長が、天守を始め、城郭・城下町の整備を行う。

その後、大久保長安事件により石川康長が改易となり、小笠原秀政が返り咲く。
大坂の陣
以後は、松平康長水野家などの松本藩の居城として機能。水野家の
後は松平康長にはじまる戸田松平家(戸田氏の嫡流)が代々居城とした。

享保12年(1727年)には本丸御殿が焼失、以後の藩政は二の丸で執務がとられた。

トトトトトトトトトトトトフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より


        松本城の入口

       松本城天守(当日は雨でした)

    晴天であればこの様な姿に(現地看板より)

   梅園手前の松本城 (桜の満開だったのですが)

           黒門

         城の中の丸太柱

         天守閣に登る階段

         特徴のある窓

            月見櫓
      城内に展示されている銃

    手前の芝生部分が本丸御殿の跡