平戸城  長崎県平戸市

延久1(1069)松浦党の開祖、源久が摂津国渡辺庄(大阪府)より肥前国
松浦郡今福に下向して宇野御厨検校そして検非違使となる。
松浦郡、彼杵郡、壱岐の一部を所領にして今福の梶谷城に拠る。

宝永4年(1707年)に松浦棟が平戸瀬戸の小高い山に築城。縄張は3年前
の父鎮信の藩主時代に済ませ、元禄17年(1704年)に兵学者山鹿素行の
子高恒と弟義昌の監督で工事を進めた。円形の山を利用して本丸を高所
に設け、なだらかな斜面に二の丸・三の丸を配置した山鹿流独特の構造で
あった。明治維新まで松浦氏の居城。亀岡城・朝日岳城・玄武城ともいう。


                平戸城

       城に登る途中の石垣
明治維新後、城は荒廃し、北虎口門など一部が残るだけとなって
いたが昭和37年天守閣をはじめ各櫓が、さらに昭和54年には本丸
御門も復元され、現在は公園となっている。


松浦鎮信(初代)(1549-1614)肥前国平戸の大名。松浦・彼杵・壱岐など
6万3,000石を領する。オランダ・イギリスを平戸に誘致し、商館を建て
させるなど平戸貿易の全盛を誇った。
平戸島  
北松浦半島の西,南北に長い島。約700年間松浦氏の所領。
海外交易の拠点として発展し,キリスト教も浸透。

面積168.6k平方m


         平戸大橋(平戸島に渡る橋)


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