岡山城後楽園岡山県岡山市北区

別名・烏城(うじょう)、金烏城(きんうじょう)とも言われ国指定の史跡

戦国時代に、備前西部から美作備中に勢力を伸ばした宇喜多氏が本拠と
したことで近世城郭の基礎が生まれ、その後
小早川氏、両池田氏により整備、
拡張が行われた。
岡山城は標高が十数メートルの丘が連なる小高い土地に建設された。
その丘のうち「岡山」に本丸が設けられたことで、城名そして城下町の名の元
になった。
なお西には「石山」があり、さらに北西には「天神山」の丘が連なり、各時代ごと
に要害として使用されたようである。城の縄張は基本的には梯郭式となって
おり、三段の城郭配置が西側の一方だけに広がる
平山城となっている。
言いかえると本丸の北から東には郭の無い、非常に防備が薄い縄張である。
そのため
旭川の流路を変更し、天然の堀として東側の備えに利用したとされる。
さらには郭の代りとして、「後園(後楽園)」が築かれたともされる。
天守46
階の複合式望楼型で、特に初重平面形状が歪んだ多角形をしているため、
同じく歪んだ多角形平面の天守台を持つ
安土城天主を模したものではない
かと言われているが、
羽柴秀吉による大坂城天守を模しているという説もある。
その外観は黒漆塗の下見板が特徴的で、この印象から「烏城(うじょう)」とも呼
ばれ、隣県の「白鷺城(はくろじょう)」とも呼ばれる
姫路城と対比されることもある。
元禄時代の古地図からは、五重の濠に囲まれた城郭と、南北3.5km、東西1.3km
におよぶ城下町の姿が伺える。

                    撮影 松本 憲治様

後楽園

また隣接する後楽園は
日本三名園として並び称され、日本庭園
大名庭園
日本三名園、水戸偕楽園金沢兼六園とともに、のひとつで、江戸時代
初期に岡山藩主・池田綱政によって造営された、元禄文化を代表する庭園で、
国の
特別名勝に指定されている。

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