長浜城滋賀県長浜市

天下統一を果たした秀吉の出世城といわれ、羽柴秀吉
(豊臣秀吉)が築城した

1573(天正元年)に羽柴秀吉(豊臣秀吉)が浅井長政攻めの功で織田信長から
浅井氏の旧領を拝領した際に当時今浜(いまはま)と呼ばれていたこの地を信長
の名から一字拝領し長浜に改名した。
小谷城で使われていた資材や、あらかじめ、
竹生島に密かに隠されていた材木などを見つけ出し、それらを使用し築城を開始
した。

34年頃完成し入城。湖水に石垣を浸し、城内の水門から直に船の出入りがで
きるようになっていた。
城下町は小谷城下(滋賀県長浜市湖北町伊部)からそのまま
移した。そのため、現在でも城下町には当時の面影や名残がある。秀吉が最初に
築いた居城であり、秀吉の城下町経営の基礎を醸成した所でもある。
本能寺の変後、清洲会議で長浜の支配権を獲得した柴田勝家の甥の柴田勝豊
が入城するも、まもなく勝家と対立した秀吉に攻められ落城した。
賤ヶ岳の戦い
は、
山内一豊6年間在城し、内藤信成・信正が城主になるが1615元和元年)
廃城になり資材の大半は彦根城の築城に流用された。彦根城の天秤櫓は、
長浜城から移したものと伝えられている。その他、長浜市内にある大通寺の台所門
は長浜城の大手門を移したものと伝えられ、今でも矢尻の跡を見ることができる。
同市内にある
知善院の表門は、長浜城の搦手門を移したものと伝えられている。

現在の
天守1983犬山城伏見城をモデルにし模擬復元されたもので
市立長浜城歴史博物館として運営されている。


シシシシシシシシシフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より

2012.4.11)桜の満開をと思ってバスツアーに参加したのですが、桜は
未だ咲き始めで、当日は一日中雨でした。


           長浜城

       羽柴秀吉(豊臣秀吉) 肖像画

         城内の展示 

     長浜曳山祭 鳳凰山模型

     天守閣からの風景 後ろは琵琶湖

       
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