第12回  2012.4.22~4.23

ダウラギリ周遊トレッキング6
エレベェション・キャンプ
アルバリマルファへ


4月22日 エレベェション・キャンプからアルバリへ


             寄稿  名古屋在住 秋里 宣彦 様

 テントサイトからニルギリ(7.061m)を望む

        テントサイトからツクチェを望む

        ラッセルしながら進む

         実に美しいツクチェ

           雪の中を行く

    アルバリに向かってどんどん下る。
    ニルギリが次第に大きく見えてくる


ツクチェに継がるピークの下部岸壁に観察される褶曲した地層

   カリカンダキを眼下に観る。左奥チベット方面

  ニルギリ連峰 右より2番目のドーム状の
   ピークが主峰(7.061m
  4月23日 アルバリからマルファへ

夜間には雪も止み、ヒマラヤ晴れ。今日はトレッキングの最終日だ、
ゆっくり下りよう。



  ポーターたちが泊まった石積の小屋

  朝の食事風景。これで山で食べる食事は終り

 朝食 スパム、ゆで卵、ダル豆の煮物とお粥

  夏 ヤクの放牧時に使う石積の家畜小屋

        家畜小屋の中は広い
    
          落雷で裂けた松の木

        ニルギリの主峰(7.061m)

 マルファへの道カルカンダキ上流からチベット方面

       ロッジにたどりつける

   マルファのロッジと寛ぐポーターたち

    名前をよばれ、給金を手渡しされる。
   ポーターのみなさん、ありがとうございました。
   ダウラギリ周回トレッキング無事終了と小生の
   誕生日を祝い料理長がケーキのプレゼント

        杏の花盛り。部屋の窓から

  河口 慧海記念館(かわぐち えかい)

河口 慧海(かわぐち えかい)
18662月26日慶応21月12日
-
1945昭和20年)2月24日)は
黄檗宗の僧侶。
仏教学者にして
探検家
幼名を定治郎という。
僧名は慧海仁広(えかいじんこう)。

中国や日本に伝承されている漢語音訳された仏典に疑問をおぼえ、仏陀
本来の教えの意味が分かる物を求めて、
梵語の原典とチベット語訳の仏典
入手を決意ル日本人として初めて
チベットへの入国を果たした。

1866泉州堺(現・大阪府堺市)生まれ。1890明治23年)に黄檗宗
五百羅漢寺
(当時は東京本所にあった)で得度を受け出家する。
1892(明治25年)には大阪妙徳寺に入り、禅を学ぶ。その後、五百羅漢寺
の住職を勉めるまでになるが、その地位を打ち捨て、梵語・チベット語の仏典
を求めて、
状態にあったチベットを目指す。
数々の苦難の末、2度のチベット入りを果す。帰国した後、1921年(大正10年)
年に
還俗する。
(その理由については自身の著書『在家仏教』に詳しく記されている。)

  フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より


       河口 慧海記念館(マルファ)

        
           行程表へ