第14回最終回  2012.4.26~4.30

    ポカラ(飛行機)から カトマンドゥへ

  4月26日 ポカラ滞在

サランコット展望台に、朝日に映えるヒマラヤの山々を見る予定で、
午前5時に起きロビーに集合。
30分立ち60分経っても迎えのマイクロバスが来ず、夜が明けて来た
ので電話したところ、キパさんの手配忘れとの返事、全員大憤慨!
仕方なく寝直しとなる。

朝食後、山岳博物館の見物に出かけた。帰ってからはポカラ市内に
お土産探しや、人造湖周辺の散策に出かけた。

            寄稿 名古屋在住 秋里 宣彦 様

  ポカラの国際山岳博物館のチケット売り場。入館料300円

       dd国際山岳博物館の入口         

        ネパール民族の衣装
     雪ヒョウ            ヒョウ

ヤクの彫刻と後ろはエヴェレストを形取ったモニメント
ポカラで見たジャガランダ

       フェワ湖

     フェワ湖の夕日
       ネパールの民族舞踊
      ポカラの夜の街をラバに乗って街を行く

 4月27日 ポカラ(飛行機)からカトマンドゥへ


      靄のなか何となく見えるマチャプチュレ

  サランコット展望台(標高1.592)から、朝日鑑賞
 靄のため視界不良の中、目を凝らして山々を見る観光客 
この後ホテルに帰り、食事を済ませた。
ポカラ空港からカトマンドゥに戻り3間滞在の後、4月30日
カトマンドゥを発ち5月1日に帰国した。
 
    7月27日カトマンドゥ


       スワヤンプナーヤ仏教寺院
           モンダナート

       マニ車(マニ車を廻すと経典を読んだことに)

    カトマンドゥで見たお祭りの風景

あとがき

斯してシャクナゲ街道とダウラギリ周回のトレッキングの旅は無事に終わりました。
思い返すに、この旅は、同行の諸兄姉、シエルパの皆さんに支えられ、助けられた
からこそ、成し得たと考えています。深謝するのみです。
本当に有難うございました。また、初見参の私に、ヒマラヤの自然は壮大で美しく
また厳しさを教えてくれました。そして 身体が吹き飛ばされるような強い風と凍え
るような寒気と希薄な空気、遥かに望む雪山と岩石が累々と広がる高原の大自然
の中、5.350mの峠から遥か彼方に茶一色見えるチベットの地を望んだときに、
自分は己が自我で生きているのではなく、生かされているという思いが、心の底か
ら湧き出るのを感じ、涙が流れるのを禁じ得ませんでした。


ダウラギリ雑感

ダウラギリという山名は深田久弥氏に依るとダウラギリはダワラ「白い」ギリは「山」
言うサンクリスト語で、さらに氏はこれはヨーロッパのモンブランや日本の白山
とおなじで、世界中どこでも雪で白く輝く山を単純に白い山と呼んだことに一致
している。とヒマラヤ登攀史に著れている。

ダウラギリに登ろうと試みたのは今から62年前(1950年)フランスの登山隊が挑戦
したのが最初で、登山ルートを見い出せず彼らはアンナプルナに転進した。
それから世界各国の登山隊が挑戦したが頂上まで至らず8回目にしてスイス
の登山隊が1960年5月にその頂上に立った。ダウラギリの困難さは挑戦回数
がエヴェレストの10回に次ぐ8回目にして成功したのだから8.000m級の山々
14座の中でも難攻不落の山と言えよう。

近年は装備の改良進歩やアプローチが容易となり毎年複数の登山隊が頂上
を目指してやってくるようになり、今年の4月に私達がダウラギリBCに設営した
折り、3ヵ国の登山隊が設営していた。この後、ヘリコプターでダウラギリBCへ入
った竹内洋岳氏は5月28日に頂上に達した。ヒマラヤには8.000m級の山が
14座あるが、全山完登した人は世界で29人日本人では最初です。そして彼が
最後に登頂した山がダウラギリです。

私が退職後、失われた体力を取り戻すため雪の西穂高岳に登ったときに、最初
にガイドしてもらって以来山登りの師匠として指導、教授頂きました、田辺治さん
もこのダウラギリで2010年に雪崩に巻き込まれ帰らぬ人なりました。
その年にカトマンドゥより届いた、ダウラギリが朝日に紅く染まった美しい絵はがき
には、「12月に西穂に行きませんか」と書かれていました。

今年は田辺治さんが不帰の人となり3年目の年でもあり、この度のダウラギリ周回

のトレッツキングで、ダウラギリBCを訪れることができたのは何かの縁ではないで
しょうか。ダウラギリと言う山に一層思いが深くなりそうです。

                               
        
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